2012.1.24
その日は目覚めてからモハンマドに扉を開けてもらうまで( 軟禁を解いてもらうまで)が、前日にも増して長く感じられた。
なぜならこの日、 僕はイラン人女性にシーラーズのまちを案内してもらうことになっ ていた。
つまり、デートである。
鍵を開けてもらった僕は、朝の挨拶もそこそこに、ハマム( 公衆浴場)の場所を教えてもらい、すぐに向かった。
紳士たる者、 三日風呂に入っていない体のまま女性にボンジュールなどとは言え ない。
「ハマムはうちの造花屋と同じ並びのところにあるよ」 というモハンマドのざっくりな教えの通りに歩いていくと、 それらしいところが見つかった。
何を書いているのかわからない青い看板からは確信を持てなかった が、 扉からほんのりとはみ出している湿り気を帯びたぬるい空気が、 日本の銭湯を思わせた。
「だろうな」と思い扉を押すと、そこには夏休みのプール開放で設けられている、あの受付があった。
僕の記憶と違うのは、座っているのがイラン人のおじさんということだけである。
ほんのりノスタルジックな気分になりながらシャワーを浴びる仕草 をすると、おじさんは僕を部屋まで案内してくれた。
部屋の中は着替えるところとシャワーを浴びるところが別々にあり 、どちらも僕一人には広く、 クマやウシがシャワーを浴びるのにちょうど良いくらいだった。
シャワーを三日分たっぷり浴び、おじさんに三万リール(当時のレートで約100円)を支払い外に 出た。
シャワーを浴びてさっぱりすると、昨夜まではなかった「 これから会う女性がものすごくかわいかったりして」という、 非紳士的でとても素直な期待が少しずつこみ上げてきた。
結局どこまでも俗人な僕はしばらくまちを歩いて気を落ち着かせ、 昼食を済ませてからモハンマドの造花屋に向かった。
小物売りのおじさんも交えて少し話をしたあと、おじさんは「 それじゃあ」と僕を促し、あとについてくるよう言った。
二人で歩き始めて間もなく、 向かいから歩いてきた女性がおじさんの歩みに吸収されるように身 を翻し、二人は並んで歩きながら話を始めた。
いくつか言葉を交わした二人は歩みを緩め、 そのままの調子で歩いていた僕が含まれて、 三人が並ぶような形になった。
二人のあまりにスムーズな動きに感心していた次の瞬間。
その女性は歩みを早め、 一方のおじさんはほとんど止まるようにゆっくり歩き始めた。
「え?え?なに?何の動き?」と混乱する僕をよそに、おじさ んは「じゃあまたな」と声をかけ、ゆっくりと反対方向に行ってしまった。
彼女と並んで歩いてはいけないかもしれないと思った僕は、 一定の距離を保ったまま、 置いて行かれないよう早足でついていった。
彼女は持参した英語の辞書(だと思う) を覗いては振り返って僕の方に目をやり、 何も言わずにまた前を向いて歩いた。
そんなことを何度かくり返しながらまちを歩き、 バザールに入ったところで彼女はやっと僕との距離を縮め、 話しかけてくれた。
僕は自分の名を名乗って彼女の名前を伺った。
全体的に丸みを帯びた彼女の名はザフラといった。
彼女は英語の辞書(だよね?)を手にしていたものの、 バザール内にいた英語を話すおじさんを介して話をした。
行きたいところを訊かれた僕は、 持っていた地図を出して適当なところを三、四つ伝えた。
ザフラは「わかったわ」らしいことを言い、 こうして僕らのシーラーズ観光が始まった。
人目があるところで男女が話をしても良いものなのか、 僕にはその塩梅がわからず、 一方のザフラは相変わらず英語の辞書(そうなんでしょ?) を覗いて何かを確かめはするものの、 話しかけはしないということの繰り返しで、 ほとんど会話がないままシーラーズ観光は進んだ。
何かの博物館、内装がえらく煌びやかなモスク、 有名らしい庭園などなど、 僕が最初に行きたいところとして複数伝えてしまったからか、 ザフラは半ばこなすように駆け足で案内してくれた。
夕方頃になり、ザフラは近くにある庭園に行きましょうと言った。
庭園で食べようと、パンとザフラおすすめのチーズクリームを買ったのだけれど 、このとき買ったパン(というよりもナンに近い)は、 これでもかというほど引き伸ばされて大きく、 小脇に抱えて海に駆け出したらそのまま波に乗れるのではないかと 思うほどだった。
入場料を支払い中に入り、庭園の中央に置かれた石の上の近くに座った。
まだ温かいパンをちぎって、 チーズクリームをつけて食べ始めると、 ザフラは自分のことを話し始めてくれた。
彼女は二年間アラブ首長国連邦の首都ドバイに留学していたらしく 、今は小さい子供たちの先生をしているとのことだった。
他の姉妹はみな結婚しているが、彼女は未婚とのこと。
それだけ話すと彼女はすぐに公園にいた毛むくじゃらの猫にパンを あげに行ってしまった。
ほんのわずかな時間だったけれど、 彼女が僕に話をしてくれて嬉しかった。
辞書もやっと役目を果たせて嬉しかったと思う。
最後に寄った小さなモスクでは、 夜の祈りの最終盤に居合わせることになり、 祈りを終えた人たちが出口で受け取っているご飯を二つ貰えた。
外で待ってくれていたザフラに一つ渡し、 モハンマドの造花屋さんに帰るためバスに乗った。
しかし、乗ったバスはなかなか出発せず、 最寄りのバス停に着いた頃には約束の二一時を過ぎていた。
そのせいで、お別れは少し慌ただしいものとなってしまった。
バスを降り、モハンマドのお店がある通りまで早足で向かい、 その通りに出たところで彼女は足を止めた。
ここでお別れらしい。
店に着いたところでお礼を伝えようと考えていた僕は、 すぐに去ろうとする彼女に慌てて「サンキュー」とだけ伝えた。
0 件のコメント:
コメントを投稿